昭和40年05月28日 朝の御理解
山口の長田先生が、お礼参拝して見えられました。古賀先生のおばさんにあたる方なんです。丁度、十時ごろだったでしょうか。ここでで、ご理解を頂かれて、から、夕方帰られましたんですけども。熱心に、ご理解をと言うてここに参りましてからご理解を頂くという事も楽しみですけれども、あの、椛目のお広前にただ、お引き寄せを頂くということだけが、いわゆる楽しみだという意味のこと言うておられますですね。
昨日、飯塚の教会の、お月次祭からこちらに廻って見えられた。古賀先生達もおかげ頂きたいと言いよったけど、丁度、二・三日前からぜん息が起こって行けないから、先生によろしくと言うてお初穂だけ事ずけて、古賀先生が、こんな風に最近、言うておりますというてから話しておられます。椛目の信心がね、おばさん、椛目をいっぺん離れなければ分からんと言う。(笑)ね。
本当に、僕はもう、もう一押しね押させて頂いてからの信心を身につけておくべきであったと。あちらに、椛目に行った時に、せっかく椛目に来たんだから、お徳を受けて帰らなければいけない。いうなら、神格を受けて帰れと。神様は僕の事を(せいしょこ)さんとも、又は、あの(ひご)の神とも、言うて下さったんだが、ほんとに(ひご)の神としての(せいしょこ)さんとしての御神徳。
御神格を受けるまでおかげを受けなきゃいけなかったと言う様な意味の事を言うておりますというてから昨日はなしておられました。丁度もう四時ごろだったでしょうか、正義さんが御ときの事で参りました、久富先生と一緒に土地ちょっと見に行って、もう今度あそこでボーリングするんですね。井戸を掘るんです。でその、下見に連れて行かなきゃいけないというので、久留米から、その職人さんが来ていたのでしょう。
それを、連れて行く為に、あの、あちらの方に参りました。それで私はあのその長田先生に、先生貴女もさっき話しておりましたお土地のところ見に行きたいと言う。いっぺん行きたいと仰ってましたから、幸だから一緒に行ってあげられませんか、というてから、んなら、どうせ私帰らなければなりませんから、もうあちらからあのまま、バスで、んなら、ご無礼して帰らして頂きますから、んなら、見せて頂きましょう。
そんなこといわずに、見られたらまた、こちらえ一緒に帰ってあげなさいね、それで良いですからそうなさいませと、うんそうですかと、あのもうお土地を見せてもろたら、もうこのまま帰らせて頂きます。といいながら、その正義さんの車であちらに久富先生も一緒に見に行かれたのです、でしばらく致しましたらやっぱここに帰ってみえておられる、親先生がああ、おっしゃよりましたけまた帰って参りましたちいうてから、こちらえ帰って見えられました。
それでここで、まあ皆にお茶でも差し上げましてから、お茶頂いて帰ったがよかごたるなら、其のまたお出でなさいというて、私は今ここに人がおられますからご無礼して、久富先生ちょいとあんた表までお送りして下さいと言うて長田先生を表まで送ってもらいました。そしたら久富先生が送ってから、先生おかげ頂きました、長田先生を今、表えちょっと送ってでらせて頂きましたところえ丁度久留米の古賀さんが、打ち上げに行ったと言うて帰り道、丁度長田先生を車に乗せて行って下さいました。
もうそれだけの話しなんですけれどもね、皆さん其の中から何かやっぱり感じられるでしょう、久留米の初代石橋先生はこの世は徳の船に乗って渡れと、こう仰る。それには自分にも都合があるのです、思いもあるのです。例えばんなら、長田先生の場合にもですお土地も見せて頂きたい、そしてそのままあちらに帰りたいと、それが長田先生の思いなのですけれども、はは先生が帰りがけおよりなさいとこう言われた。
それでやっぱりよられた、まそういう体験はもう皆さんが十分頂いておられ事である、そんところを神様任せと、神様任せは先生任せと、言うなら身も心も先生にお任せしておると言うことがです。徳の船に乗れることだという、その断片的にそういう、断片的にんならそういう意味の事が分かるんですね、皆さん分かるでしょうが、もうたったそれだけの話しなんですけれども、それが大変な話なんです実を言うたら、ね、
そう言うようなです、いわば徳の車の差し向けに乗って帰られるということは、ただ久留米までバス代を払わんですんだといったような生易しいもんでじゃないのです。これがどうでしょう一日だけではありません、私共のこれからの生涯がです、言いや私共の生涯じゃありませんあの世までもがです、其の徳の車に乗って行けれる道がある、それを椛目では話しておる訳なんです。
ね、そこのところをです、ね、身も心もお任せした生活、お任せする信心のけいこというものはです。なされておらなければならなかったと、後悔と言う意味ではないでしょうけれども、もう一押し椛目の信心を頂いておくべきであったと古賀先生をして言わせておるのはそこんにきじゃないかと思うんです。ね、例えば、断片的な一つのちょっとしたそういう事柄だけでも、事柄だけでなく、其の事柄の中にです。
こう言う風に任せきっておられるおかげを頂かれるのぞと、ま、ちょっとした手本を神様はみせて下さるんですから、ね、それがもっともっと難しいことであっても、そう言うようなおかげの頂ける稽古をすることなんだ、場合によっちゃ、だから、それは命がけということににもなるわけなんです。神様には一心とか一生懸命というのがなからなければ通わない、なんていうたってですね。
何ていうたって一生懸命ちいうのは命がけ、これが一生懸命一番の一生懸命だろうと私は思うです。言うなら命のお供えなんです、ね、きのう丁度長田先生がここえ見えられてから、お参りのあいま、あいまにここに出て来られてからはいろいろ話されるのです、「ゆきじ」がこんなことをいうとりますと、私はそれを聞かせて頂きながら、本にそんな御理解を親先生に頂いた事があったなと私は思い出させて頂いた。
お釈迦様が悟りを開かれる前のお釈迦様のお話し山中に篭って御修業の時、一匹のもう餓えに飢えたところのお腹をすかした虎が出てきた、そこでお釈迦様は自分の命を自分のこの肉をその虎に与えようと決心された。その時にお釈迦様が成仏されたとこう言う、ね、もちろん、その寅は、ああ何ちゆうですかね、仏様の化身であったとこう云うこと、自分の肉を捧げてその寅に自分の命を与えようとされた。
命懸け、そこに言わば即身成仏されたと、身をもって仏様になることができられたと言うお話を私はしたことがあった。あんたが椛目におかげを頂いたからには、ね、やはり即身成仏、ね、例えば生身より生きた身を持ちながらでもやはり人から、本当に内の先生は神様のような人じゃとこう信者から慕われるような先生にならないかん、為にはやはりお徳を受けにゃいけん。
まあそこんところが親先生が場合はいつもその理屈が先に出たんですね、何で一生懸命になるかというとお金やら物やら、ね、体力やらという訳にはあんたの場合いかんだろう。だから、ここで修行さして頂いておる間にです、いうなら、あんたの体を大坪その人に捧げる気持ちになれと私が。私が寅なら、ね、あんたはお釈迦様にいちおうなってみるんじゃ。そういうような。
まああの手この手でまあ私は古賀先生ば、あの教導さして頂いたんですけれども、理屈は分かっておる様であって分からなかった。もうその様な事がです椛目を離れてみて、椛目の信心が素晴らしいという事はです、椛目を離れてみなければ分からない。椛目の先生が言いござったことはそりゃあ素晴らしい事ば、おばしゃん言いござったばい、ちゅうてから昨日もこっちに帰ってくるまで、その話して参りましたとこう言われる。成程それは、椛目で私が説いておる事は素晴らしい事には間違いはないですね。
何故って私が、もちろん私の体験を通してではあるけれども、神様にいちやく知恵を持って皆さんにお伝えしておるのですから、その、お伝えの方法がです、ね、垢抜けしないというだけのこと。表現力を持たないから、まあ、変な表現、言いまわしになるんですけれども、その中身と言う物をほんとに皆さんが探ろうとなさるならばです。頂こうとなさるならばその素晴らしいものに触れることが出来る。私はそんな風に思っておる。人間に、いわば命より大事な物は無い。その命を捧げるというね。
昨日こんな話も出た。先生がゆきじさんに話されたお話の中に、日蓮上人様の白米一表の御書という、いわゆるお書き附けが残っておる。白米一表の御書と書いてある。まあ、いわゆる、お書き附けなんですね。道で言うなら。天地書附のようなもんです。それは、日蓮上人様がみのぶの山で修行なさっておられる時にです、大変な修行をなさった。まあ、言うならば、もう様々な修行もありましたけれどもその中身は、断食から断食といったような修行もなさった。
そしてこの修行は、自分のような生身の凡夫ではなかなか、容易にできることではないと。まあ自分のことを生身の凡夫とこう、凡人というふうに言うておられるけれども、ね、それは、日蓮上人様こそ、お釈迦様の生まれ変わりだというような意味のことを説いた本なんです。その、お書き付けの中からそういうようなことが、時にです、ある、その帰依者がです、白米を一表上人様に送ったということ。ね、
きんもう、きんもうとは里芋のことらしいですね。里芋を俵一表送ったということ。川のりを一籠一緒に送ったと。その三つの品のお供えに対しての上人様がその氏子に対する、その手紙の内容が白米一表の御書ということになっておる。それに、その上人様がお釈迦様の経文の中から、どれをひいて話しておられます。ね。人間には、宝が二つある。それは、足りるということと、きるという事だとこう。
その、命ということでもです、ね、例えば、それは丁度、命の光が燃えておる。いわば、お米ならお米という食べ物は、その油のようなものだとこう。その油が消えたとき、その油がなくなったとき、すでにその命も絶えるのだと。してみると、熾るそのものが命だというふうに説いておられるんです。そりゃそうですね、皆さん分かるでしょう。それが、いろいろな表現に説いてありますもん。
私、そんな難しいことを古賀先生だけに問うたがあるんです。その話を昨日私、長田先生から聞かせて頂いてから、改めてほんにそんな事であったと思ったんです。考えてみたら、椛目の信心は、とにかくもう大変な素晴らしいか、それは後で分かるとそれ。ね。してみると皆さん、皆さんが一生懸命、命のお供えをするということは、あなた方その生身のその体をお供えするということではなくてです、お米をお供えするだけでも命のお供えになることが分かる。
そうでしょうが。お米ということに限ったことではありませんですよね。ね。いくらお金があってもお米が買えないという時代ならいざしらずだけれども、ね、今お金さえあればお米も買われる。着物も着れる。きのう、夕べの御祈念にあるお母さんが参って見えられましてから、ちょうど、椛目から昨日、あの、お手紙を頂きましたという。御造営の予算のこともあるお手紙。私のほうでは娘が一番口に二階さんそれをもってあがってから、帰ってきてから。
お母さん、今夜参るならば、これを、あの、あちらの箱の中に入れといて下さいちゅうて持って来た。そんなことがあるもんね、あんたが、自分で持っていかじゃこて。いや、もうお母さんお願いしますと。と言うてその、おお、いろいろその事についてお話さして頂いた時にです、ね、いわゆる、あの、まだ嫁入り前の娘さんですから、水に流されることもなく、火に焼かれることもない信心が身についてくる。そういう信心を身につけたい。なら、どういうことがあっても、迷わない。
どういうことがあっても動じない。迷わない信心。そういう信心を身につけていきたいと思う。今日は、28日ですから、竹葉会です。若い嫁さん達ばっかりの会なんです。皆その子持ち方達ばっかりですから、賑やかな事です。もう、二人も連れてくる方もあるし、もう、這う子、抱く子を連れてくるんですから。まあ、たいがいには、両親やらしっかり信心出来ておられるとこなんかは、もう、今日はお話いただかにゃならんとやけん、もう子供は連れて行っちゃならんよと言うてその、まあ、子供は取り上げてから嫁さんだけをだしておる家もある。
ようと信心が分からない両親なんかのところは、やっぱそんなふうで、這う子、抱く子と連れてきてる。ね。また、夫婦さしむきといったところは、当然、その、まあ連れて行かなければでけんもんですから。そりでもうこちらであの子供達が、子供を皆預かって二階で会合してますから、ほんでもう夕方まで熱心にその、信心の共励があっておりました。御祈念の後に、頂きますそのご理解の中にです、和賀心が神に向かうのが信心と言うのじゃと。自分の心が神様に向かうておると。
向こうて進んで行くということ。心だけは神様に向かっておるけれども、けれども体が向かわなかったら駄目だというご理解でしたんですね。体が言うこと聞かなければ、心だけはもう神さまの事は忘れちゃおりまっしぇんで、体のほうが、向かなかったらだめだということなんですね。例えば、これは私共でもそうです。まあ、午前中は、まあおかげを頂いて有り難くここに奉仕さしてもらう。
まあ、午後、こうしてて、今度、だんだん温かくなってまいりますと、二時から私が奉仕さしてもらうんですけれども、んー、もうおなかはいっぱいだし、もう食事を済まして。ほいでどんどんとこう眠気がきたりしますと、とにかくやはりおっくうになるんです。座っておっても眠気がつく。そういう時にです、心では分かっておっても、体の方が言う事聞かなければいけないということ。座っておって初めてです、今日なんかもうウトウト私もうしよりましたんです。丁度二時半頃だったでしょう。
そしたらあの、嘉朗さんの家内、ゆきこさんが、あの、子供二人連れで参ってまいりました。その時私、はっといたしましたんですね。そしたらあの、私頂く事が、御心眼に、雪国、と頂いた。あの、雪国という映画があったですね。いつかこの頃、もう何ヶ月か前ぐらいに。あの、なんかとっても良い字がかいてあったですけど。雪国という。はは、ゆきこさんだから雪国って頂いたんだろうかとこう思ったんですけれども、そうではなさそうなんですね。
それで、ここへ来て、あの、お届けをいたしますから、私がその事を申しますんです。そしたら、もう涙をポロポロ流してから、先生今、私共夫婦はその雪国のとこば通っておるとこなんですよ。っていうわけなんです。もう、この大祭からこちら、私がこう腹を決めさせて頂いた。本気で夫婦の、お父さんはあれだけの修行をさしてもらいよるから、私も本気で修行さしていただこうと思うたら先生もう、あの、大祭を境にこういう修行が次々とあるんですと言うてそのお届けをするんですね。
本当に有り難い、ゆきこさん修行させて頂きたいと思うたら、神様はすぐ修行を求めたもうところがありがたいじゃないか、ね、例えばどうだろう今あんた達の若いまだその夫婦が、例えば南国、雪国ではない暖かい国に住んだと致してごらんなさい、ね、着物も要らない、ね、はたらかんでも住む、チョット表まで出ればバナナが一杯さがっとる。山に行けば、飲み物が何ぼでもあると例えば、南の国なんかそうなんです、ね、
ですから人間がどうしてもだらしがなくなったり、言わば頭を使う事をしなかったり、働くと言う事を自然せんようになってしもうておる。結局だらしの無い一生で終わってしまは無ければならんのだけれど、雪国に住んでおるおかげでです、ジットしておっちゃいかんもん、やっぱり動かにゃならん。一生懸命働かしてもらいよると、ぽっぽっしてくる、お家の中にはいっとってもそうだ。
外はもう雪景色、もう真っ白い銀世界、それでも中に、明々と暖炉が燃えさかっとってごらん、また雪の降る日も、楽しいものだと、ね、今こそ私はあんた方若いものがですねその雪国を通らして頂くときであり、そういう信心を、しかもそういうようなです難儀の中に自分の心の中に信心の勇ましさというかね、信心の喜びというか、元気な心と言うものを養わせて頂く、いわば、心で思うておるだけじゃでけん、やはり形の上に行に現さなければでけん。
いわゆる、自ずと自分の カードを神様のほうへ持っていかなければ立ち行かんと言う時なんだから、それがああたがたの将来のです、ね、言わば、基礎ともなり終止習慣ともなる、働かせて頂くと言う事が習慣、遊ぶのがもう習慣、どっちがええか。ね。南国に住まずに雪国に住まわせていただいておるという事は、有り難い事ぞと言うて、まあ、話した事なんですけれども。ね。これは、若い者ということは、信心の若い者という意味にもいただかならんとこう思うんです。
お互い椛目の信心の人が、いいや、私は信心のある。今こうしよる。という一人もおるまいと思う。何故って、全部通算したところで15年ですから。ね、椛目の信心の稽古さして頂いて言わば、初めから稽古さしていただいとっても15年ですから、信心はまだ若いんだと。その15年と言うか、その若い間にです、そうした意味合いにおいての信心の基礎がほんとに出来ていなければいけないということ。
言わば、信心の習慣と言うものがです、朝参りなら朝参りということはです、朝起きなら朝起きということがです、あの修行時代に身に付いておったということ。その、身に付いておるもの、そういう信心が私は迷わんですむ。どのような場合でも驚かんですむ。言うなら、火にも焼けなければ、水にも流されることない信心というのは、そういう時に出来るのじゃないだろうかと。というてお話したことです。
ですから、その信心の内容としてはです、例えば、ただ今、福島さんが、ある難儀な事をお届けされたんです。そしたらね、いや、この、野原の野という字を頂くんですね。だから、これ、山の里と言うから丁度真ん中と言うことなんです。今は苦労の真ん中と言うことも言えるでしょう。ね。けれどもです、その真ん中で、いいっていうことなんです。ね。里が、いいの、山がいいのと言わずに、どうでもよいという気になれということ。心は神様に打ち向けておる。
体は修行の方は神様の方に打ち向けておりながら、心の方ではそれはどうなってもよいんだと。ね。神様任せだと。どうでも良い、そういう私は心の状態がです、出来るようにならして頂いたら楽である。又は同時にこれから必ずおかげの方にしか、その転回していかないと言う事。はあ難儀な事だとこうあればいいのに、ああ、あればよいのにと思わずにです、そういう事とても神様のお働きの中にあることなんだと。
言うなら、大坪先生の祈りの中にあるのだと。祈りの圏内だと。ね。祈りの中にその事があっておるんだとこう信じさしていただけれる信心。それが、どうでもよいと言う信心。ね。こうあらなければならない、こうあってほしいというその思いを捨てると言うこと。ね。そして、んなら、もうどうなってもよかていと、と言うて投げやりにするんじゃなくてです、ね、
内容をただ今私が今申しましたようにそれであって、なら形の上においては、心も形も神様に打ち向うておると。いわゆる、寒い中にです、寒い思いをせんですむだけの働きをしておくということ。ね。家に帰ったら、ね、外はもう雪で、まま、そのいっぱいなんだけれど、中にはぐりぐりするほど火が熾っておるということ。また、雪国も楽しい、また、寒い日も有り難いと言ったようなです。
信心を今こそ身につけておかなければならない時ではなかろうかと。火にも焼けない、水にも流されない。そういう信心の基礎と言うのがです、今椛目の銘々上にです、つちかわれ、養われていかなければならんときじゃなかろうか。ただ信心してです、その時行き当たりばったりのおかげをお願いして頂いていくというだけのものではなくて、そういう内容がです出来ていきよる、育っていきよる。ね。
御道の信心を身につけさして頂くと言うことは、ね、どのような場合でも迷わんですむ、動かんですむ、水にも流されることなし、火に焼けるようなことのない信心を身につけて行くということはそういうようなことだと私思うんですけどね。今日、若い、そのお嫁さん達の、集いでですたい、ね、その事を私があの、御祈念の後に皆さんに聞いてもろうたんです。もう皆さん、今あなた達が山の時代にです
、もうほんとにけっこうだ、ああ楽だというようなことであってはならない。もし例えば周囲のものが全部信心でですたい、ね、楽であるならば自分から求めてでもその修行をさしてもらう時じゃなかろうかねと言うて、まあ話した。いわゆる若い時の苦労こうででもせろと、というのは、ほんとに信心においてそれが言えるだと私は思うんですよね。
おかげを頂かなければなりません。